教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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7/22 NHK-BS 英雄たちの選択「知られざる島の歴史旅(2) 帰りたい火山島・青ヶ島全島避難の軌跡」

火山噴火による全島民避難から奇跡の復興を成した南海の孤島

 離島シリーズは前回の八丈島から第二回はそこからさらに70キロ南方の孤島・青ヶ島について。火山の噴火で全島避難になり、八丈島に骨を埋めることになった島民の墓も残っているという。そして避難した全島民は50年後に奇跡の帰還を果たしたのだという。

www.vill.aogashima.tokyo.jp

 青ヶ島は東京都の所属になるがアクセスが困難な秘境とされている。島丸ごとが火山の火口の中というすごい島である。天候が悪いと船が運航できなくなって全くの孤島になるらしい。現地には磯田氏はスケジュールの加減で訪問できなかったらしく、浅田アナがヘリコプターで上陸している。

青ヶ島のカルデラ内の風景

 青ヶ島はまさに絶景であるが、島全体が火山のカルデラで、その中にさらに山が1つある構造だという。中の火山の辺りでは年中水蒸気が噴き出しているので、これを利用して調理などを行うという(別府みたいだ)。また険しい外輪山が外からの海風を防ぐので、島の中は意外に生活しやすい環境であるという。その環境を活かして農業が行われており、年中いも類が収穫できるので、周辺の島が飢饉になってもこの島では食糧に困ることがなかったという。

 

 

突然の火山噴火で全島民が八丈島への避難を余儀なくされる

 しかし244年前、火山が突然に牙を剥く。6日間地震が起こると噴火口が出来て大量の水が噴き出して畑がやられたのだという。そして3年後、島の中央に突然に火口が出来て大量の焼け石が噴出、火事が発生して民家61軒が焼失、14人が死亡する。さらに2年後、今までと比較にならない規模の大噴火が発生する。島全体が火山灰に覆われるような大噴火であったという。絶体絶命の島民は八丈島に助けを求める。八丈島から救援船が送られて、203人の島民が全員八丈島に避難した。

 当時は八丈島も飢饉であり、避難した島民は生活はかなり厳しいものがあったという。島民は島に帰りたいという気持ちはあったが、それは困難なことであった。避難の4年後、名主の三九郎は島民に青ヶ島への帰還を呼びかける。しかし黒潮のど真ん中に位置して海がよく荒れる青ヶ島周辺海域では船の遭難が絶えなった。三九郎は渡航を繰り返すがその度に遭難して溺死者が出、ついには用意した船を失ってしまう。追い詰められた三九郎は1797年、家族と家財一式を船に乗せて自ら島へ渡ることを試みる。しかし嵐で船は漂流、遠く紀州まで流され14人中11人が死亡、三九郎を命を失ってしまう。この失敗の後、青ヶ島への帰還の試みは途絶える。

 

 

島民が帰還を諦めかけた頃に立ち上がった青ヶ島のモーゼ

 30年以上が流れ、誰もが期間を諦めかけた頃に佐々木次郎大夫が島の代表となる。ちなみに彼は「青ヶ島のモーゼ」と呼ばれているとか。なお近藤富蔵が彼と会ったことがあり、「誠実で島民を大事にし、故郷の復興に力を尽くした」と記している。

青ヶ島に立つ次郎大夫の像(出典:青ヶ島のブログ)

 18才で島を脱出した次郎大夫は50才で名主になると、八丈島の役所に「お上に負担をかけないよう、期限を定め復興させて頂きたい」と願い出る。次郎大夫は綿密な帰還計画を立てる。それは島民177人から屈強な男子27人を選抜、その内の7人に操船技術を身につけて船を操作してもらい、残りの20人が島に住居と食料庫を作って農作物栽培を開始、その進展に合わせて八丈島から島民を送り込むというものだった。しかし問題は予算。飢饉の八丈島は青ヶ島に予算を割く余裕がなかった。また八丈島で生まれた世代も増え、帰る意味を見いだせない島民も出て意見が割れた(まさに選抜される屈強な男子自身がこの世代では)。このまま挫折したらもう島に帰ることは不可能だろうと次郎大夫は悩む。ここで彼の選択である。帰還を断念するかあくまで帰還を果たすか。

 これに対してゲストの意見は二分。わざわざ災害の可能性の高い土地に帰る必要はないのではないかという防災の専門家の意見が特徴的。ちなみに阪神淡路大震災で神戸から移住を選んだ私も帰還断念が選択。なお今更確認するまでもないが、次郎大夫はここであえて困難な帰還を選択する。次郎大夫は島民の団結を訴えており、そのことが八丈実記に記されているという。そして資金を蓄えて船を建造し、天候を観察した上で出航させた。次郎大夫の読み通りに海は荒れず、先遣隊27人は無事に島に到着、その後も1年ごとに島民を帰還させる。この間事故は発生していないという。しかし荒れ果てた島を復興するのが本番だった。野ねずみが大発生して荒れた土地に島民はまず神社を再建、島民達はネズミを駆除し荒れた土地を畑に戻す。そして1835年、ついに青ヶ島で検地が行われる。島が年貢を納められるところまで復興したということである。噴火から50年後だった。


 青ヶ島のモーゼの見事なまでのカリスマぶりであるが、磯田氏が自治体などの長としてあるべき人は「人畜に有益な世話焼きで緻密な人」と言っていたのが印象的。「認められたい、承認されたいという人がやってはダメ」とか「自分の損得だけでやる人もダメ」と言っていたが、さすがに深くはツッコんでいないが、これって明らかに斉藤とか吉村とか維新の首長のことである。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・八丈島の南70キロにある孤島・青ヶ島では、江戸時代に火山噴火による全島避難から50年で奇跡の復興を成し遂げた。
・青ヶ島はそもそもカルデラ火山の火口の島であるが、今から240年前に大規模な火山噴火が発生し、全島民が八丈島に避難することになる。
・食糧の乏しかった八丈島で島民達は生活に苦しむことになり、島への帰還を望むようになる。しかし避難から4年後、名主の三九郎が島民の帰還を目論むが、青ヶ島周辺海域の潮流の荒さのせいでことごとく失敗。最後は三九郎自身も難破漂流で命を落とす。
・島民達が帰還を諦めたかけた頃、名主となった佐々木次郎大夫が役所に島民の帰還を願い出る。彼はお上に負担はかけないとして、期限を定めて綿密な計画を立てる。
・八丈島生まれも増えて帰還のモチベーションが下がりつつあった島民を次郎大夫は1つにまとめ、節約によって船を建造、島民から選んだ屈強な男子27人を操船担当と復興担当にわけて見事に島への上陸に成功する。
・その後も毎年島民を帰還させ、無事に全員が帰還、1835年にはついに年貢を納められるレベルにまで完全復興を果たす。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・やっぱりリーダーって大事だなと言う話。そりゃ、自分が目立つことだけを考えて権力を振り回し、挙げ句がパワハラで部下を自殺に追い込むような奴はリーダーの資格がない。さらに自分達の利権のために住民の不利益を省みない奴とか。しかしなぜか今の日本ではそういうおかしなリーダーばかりが出てくる。

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