教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

10/31 BSプレミアム 偉人たちの健康診断「天皇の料理番 即位の晩さん会 "味覚"の秘密」

各国の要人を唸らせた日本の料理人

 大正天皇の即位の晩餐会。どうせ極東の島国でまともな西洋料理など出てくるまいと思っていた各国の要人たちを唸らせた料理人がいた。それが後に天皇の料理番となる秋山徳三だった。

 明治以降、西洋列強に追いつけ追い越せと突っ走っていた日本だったが、こと西洋料理の分野は惨憺たるもので、海外の要人を満足させるような料理を作れる日本人料理人はおらず、日本の西洋料理は家庭料理以下だと散々な評価だった。

 当時の宮内庁には西洋料理を作れる者がいなかった。西洋料理のレストランから仕出しを取り寄せる状態で、とても西洋の要人を満足させられるようなものではなかった。そんな中、大正天皇即位の晩餐会で汚名を払拭すべく白羽の矢が立ったのが秋山徳三だった。秋山は当時としては珍しいフランスに渡って修行した料理人であり、リッツホテルで働くまでの腕となっていたリッツホテルの料理長はフランス料理の王と言われていたオーギュスト・エスコフィエであり、秋山はその元で最先端のフランス料理の修業をしていたのである。弱冠25才で晩餐会の料理長に抜擢されて帰国した秋山は、大勢の料理人を指揮して強い熱意で晩餐会に取り組むことになる。

 秋山が晩餐会で出した料理のメニューは記録に残っているという。そこには秋山が組み立てた戦略が見られる。

 

スープに活かした「思い出の味」

 まずつかみであるスープにはあえてザリガニを使用した。わざわざこのために北海道の支笏湖から新鮮なザリガニを輸送したという。伊勢エビやカニなどいくらでも高価な甲殻類がある中であえてザリガニを使用したのは、これはザリガニは西洋人なら必ずホームパーティーなどで食する非常に馴染みのある食材だからだという。

 おいしさというのは学習であり、子どもの頃においしく楽しく食べたものの記憶は強く残るのだという。実際にマウスの実験で、幼児期に餌に鰹出汁を加えて与えたマウスは、大人になっても鰹出汁を強く好むようになったという。こういう体験は要するに「やみつき」の食べ物を作るとのこと。

 そう言えば、「ザ・シェフ」なる料理人版ブラック・ジャックみたいな漫画があったが、あれの第1話が「思い出のスパイス」だったな。なお私にも、どう考えても特別に美味しいわけでもない下品な食べ物なのに、どうしてもそれに手が出てしまうという食べ物や飲み物はいくつかあります。特に安っぽいジュースや駄菓子なんかに好みのものが数点あるんですよね。関西のソースもの文化なんかもこの類いのような気がする。

 

メインディッシュの前に仕込んだ「別腹効果」

 スープの後は紅マスの酒蒸し、鳥の袋蒸し、牛フィレの焼き肉、シギを使った冷たい料理といったしっかりした料理が続いて、その後にいよいよメインディッシュが登場するのだが、ここでさらに秋山の戦略が冴える。秋山はここでメインディッシュの前にオレンジシャーベット(リキュール入り)を挟む。これはそろそろ腹が重たくなってきていたところに、刺激を与える別腹効果を生むのだという。

 柑橘類の香りや見た目は食欲を刺激していわゆる別腹を作り出す。この別腹がどうやって出来るかというのは以前に別の番組でも見たことが有るのだが、胃が突然に動き出して中の食べ物を腸に送り出すのだという。つまりは胃が「何が何でもこれは食べないと」と無理矢理にスペースを作り出すのである。脳内の満腹中枢が「もう食べるな」と指令を出しているのに、摂食中枢が「食べろ」という指令をだすのだとのこと。いかにも欲深い人間らしいシステムである(笑)

 

さらにメインディッシュにも味の仕掛けが

 そうやって盛り上がったところでいよいよメインの七面鳥とうずらのローストなのだが、ここにもまた仕掛けがあるという。これに付け合わせたのがセロリの煮込みなのだが、ここに何やら謎の食材が加えられている。それは牛の骨髄とのこと。牛の骨髄に含まれる多様な成分がうまみの増強効果を持ち、元々の鳥のローストのうまみが100だとすると、そこに骨髄を10%加えると、うまみが119までアップしたという。この牛の骨髄を使用するのはフランス料理の奥義らしい。

 

天皇の料理番として昭和天皇の健康に配慮

 こうして晩餐会を大成功させた秋山はパリに戻るつもりだったらしいが、29才で宮内省大膳寮の総料理長に就任し、昭和天皇が摂政になったことで以降50年に渡って昭和天皇に料理を出し続けることになり、昭和天皇の健康の維持にも配慮することになる。

 昭和天皇の食卓は、朝は8時半に洋食、昼は12時に和食(麦ご飯を食べていたようだ)、夜は18時に洋食で、このタイムスケジュールをキッチリと守り、夕食後に何かを食べると言うことは絶対になかったという。実はこのライフスタイルは昭和天皇の健康長寿の秘密でもあるとのこと。朝食と夕食の間隔を12時間以内にすると体内時計が調整されやすく、成人病予防につながるのだとのこと。

 ただ秋山がどうしても残念でたまらなかったのは、天皇の料理は厨房から長い距離を運ばれるので、どうしてもその間に温度が下がってしまうのだという。つまりは天皇は出来たての熱々の料理を食べたことがないのだという。そこで秋山は一計を案じ、自ら天ぷら屋で修行した上で、天皇に揚げたての天ぷらを食べてもらうということをしたらしい。その時に天皇は「天ぷらってのは熱い料理だね」と言ったとのことであるから、天皇は猫舌だったのではという気もする(笑)

 秋山は昭和47年に84才で料理番を引退するまで昭和天皇の健康を気遣い、引退の1年半後にこの世を去る。料理に懸けた生涯だった。なお秋山の回想によると一番ツラかったのは大戦末期で、天皇は心労で食が進まなくなっているのに、天皇の「ヤミのものには手を出さないように」との意向で宮内庁の食料は底をつき、ついには乾燥野菜や乾パンを出さざるを得なくなってしまったらしい。これは料理人としてはツラかったろう。

 

 以上、凄腕料理人から天皇の料理人に転身した人物について。これだけの腕を持っている人物なら、パリに戻ったらそれはそれで名を上げたとも思えるのですが、天皇の料理人という立場に誇りを持っていたのでしょう。実際に王の料理人というのは昔から侮れない立場です。と言うのは、その気になると王を毒殺することが出来るから。同様の理由で王の喉元に刃物を当てることが出来る王の理容師も地位は高かったという。

 昭和天皇はとにかく健康長寿の人でしたが、裏にはこういう人の活躍もあったと言うことですね。ただ今回の内容を聞いていたら、天皇自身がかなり生活を律していたようにも感じます。その辺りは責任感なんでしょうか。

 

忙しい方のための今回の要点

・大正天皇の即位の晩餐会で出された料理を担当したのは、パリで料理修業をした秋山徳三。彼は創意を尽くした料理で、所詮極東の島国でまともな西洋料理なんて食べられないだろうと考えていた各国の要人たちを唸らせることに成功した。
・彼はスープにあえてザリガニを使用したが、これはザリガニが西洋で非常に馴染まれた食材であるから。子どもの頃に楽しく美味しく食べたものの記憶は後まで残るという。
・またメインディッシュの前にはオレンジシャーベットを持ってきているが、これは柑橘類が促す別腹効果を見込んでいる。
・さらにメインディッシュに付け合わせたセロリの煮込みには牛の骨髄を加えている。骨髄は加熱することで多様な物質が合成され、これらは料理のうまみを大幅に増す効果があることが知られている。
・この後、天皇の料理番となった秋山は昭和天皇の健康を気遣うことになる。
・昭和天皇は朝食を8時、昼食12時、夕食18時という生活を守っていたが、朝食と夕食の間隔を12時間以内にすることで体内時計が調整され成人病を予防することが近年の研究で明らかとなってきている。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・大正天皇の晩餐会のために日本で一番のフランス料理人を起用したということですが、こういう時、あえて日本食で挑むという選択肢はなかったんでしょうかね? まあ日本食の繊細な味わいをがさつな西洋人に理解しろというのは難しいのかもしれませんが。実際に日本食でもてなされたペリーも「料理に味がない」との言葉を残しているらしいし(もっともペリーはかなりの味音痴だったという記録もあるらしい)。

 

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