教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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12/16 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「本能寺の変ミステリー黒人サムライ・弥助は何を見た!?」

 織田信長が命を落とした本能寺の変。実はこの時に信長の最後に立ち会った生き証人である黒人が居た。今回は数奇な運命を辿った黒人サムライ・弥助の物語。

イエズス会から信長に献上された弥助

 弥助はそもそもイエズス会の宣教師が従者や護衛として連れてきた黒人だった。身長180センチで10人力の怪力の持ち主と記されているという。

 島原半島に上陸した宣教師・ヴァリニャーノの従者の一人として弥助は日本にやって来た。珍しいもの好きの日本人にとっての客寄せとして、黒人は布教に効果的だったのだという。弥助が来た時も大評判で、それを聞いた信長が弥助を連れてくるように命じたという。最初は信長は弥助は肌に墨を塗ったのではないかと考えて調べたらしい。そして本当に黒いのだと認めたという。そして弥助が片言の日本語を話せると知ったら、矢継ぎ早に質問を浴びせたという。後に弥助は贈り物として献上されたが、信長は弥助を侍として取り立て、従者付きの屋敷まで与えたという。これが本能寺の変の1年3ヶ月前だという。

 

信長の側近として本能寺の変に立ち会う

 信長の側近となった弥助は、本能寺の変の際にも信長のそばに居たという。自ら槍を振るって戦う信長の脇で弥助も戦ったという。しかし兵力の差の前に信長は覚悟を決めて切腹する。この後、信長の遺体は見つからなかったのだが、それには弥助が関与しているのではという。弥助について研究している日本大学法学部准教授のロックリー・トーマス氏は、弥助は信長に自らの首をもって信忠の元に行くように命じられたと推測している。しかしさすがに明智勢を突破することが困難だった弥助は、信長の首を燃やして火葬したのではないかといのうである。というのは、信長とゆかりの深い阿弥陀寺の清玉上人の記録があるという。清玉上人は幼い頃に信長の兄の信広に命を救われ、その後織田家に家族同様に養われたのだという。彼は本能寺の変の知らせを聞いて駆けつけたが、既に信長は切腹した後で、そこで信長の家臣達が信長の遺体を火葬しているところに出くわしたと残しているとのこと。その家臣の一人が弥助だったのではないかというのがロックリー・トーマス氏の推測である。そして信長の遺骨は清玉上人が持ち出したという。だから阿弥陀寺には信長の墓地が存在しているという。

 結局光秀は信長の遺体を見つけられなかったために信長死亡の証拠を得ることが出来ず、これが光秀に味方に付く者達を躊躇わせ、これが光秀の敗因ともなったと考えられるので、この弥助の働きは実に大きいものだったという。

 

信長の伝言を伝えるために信忠の元を訪れるが

 清玉上人に信長の遺骨を託した弥助は、信忠の元に出向いて信長からの伝言を伝えたという。この時、信忠は明智勢から逃れることは困難と判断して二条御所に立て籠もっていたという。だが信長の信忠への伝言はとにかく京から逃亡して生き延びろというものだったと考えられる。しかし既に明智勢に包囲されていた信忠は、逃走は困難と判断して明智軍と戦った後に自害したという。なおこの際に信長の弟である有楽斎もしきりに信忠に切腹を勧めたとのことだが、有楽斎自身は逃走してこの後生き延びている。彼がその後に秀吉に仕えていることを考えると、なんかこの辺りは裏があったような気がしてならないのだが・・・。

 弥助も信忠と共に長時間戦ったらしいが、その後に明智軍に捕らえられたものの彼は命を助けられて、イエズス会の元に送られたという。これは光秀がイエズス会と通じていたかであり、本能寺の変は自己神格化を目指した信長を排除しようとしたイエズス会の存在が背後にあるというのがこの番組の説。

 しかしこれについては、私はただ単に光秀が弥助を正式な信長の家臣と見ていなかっただけではないかと考えている。光秀にしたら弥助は珍しいもの好きの信長がペットとして身近に置いていた存在ぐらいの認識で、犬に洋服を着せて喜んでいるぐらいの感覚に捉えていたのではないか。だからわざわざ殺すまでの必要もなく、主をなくしたのなら元の住処に放しておけば良い程度の考えだったのではと思っている。

 

 この後の弥助の消息は不明らしいが、それについては様々想像するしかないようだ。確かに創作のネタとしては格好の人物である。戦国時代のターニングポイントの生き証人である黒い侍なんて、もっと彼を主人公にした小説があってもよいぐらい。信長の御霊を弔いながら戦国末期の日本を放浪する弥助を主人公にした「黒人侍武芸帳」。何かテレビの時代劇ドラマが一本出来てしまった(笑)。「オ前ラ悪党ハ、オ天道様ガ許シテモ、コノ弥助ガ許サナイヨ!」

 

忙しい方のための今回の要点

・弥助はイエズス会の宣教師が従者として連れてきた黒人だが、信長に献上された。信長は彼を気に入って侍として取り立てて従者付きの屋敷まで与えた。
・弥助は本能寺の変でも信長のそばにいて、最後に信長の首を信忠に届けるように命じられたと推測されている。しかし明智の包囲が厳しいためにそれが叶わず、弥助は信長の首を火葬して遺骨を清玉上人に託すと、自らは伝言のために信忠の元に向かった。
・弥助は信忠に信長からの「京から逃れて生き延びるように」との伝言を伝えたが、明智勢に包囲された信忠は脱出を断念して自害、弥助も最後まで戦ったが、明智勢に捕らえられる。
・しかし弥助は光秀に許されてイエズス会の元に送られている。その後の彼の消息は記録が残っていない。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・信忠はお坊ちゃんだったのか、やけにあきらめが良すぎるんですよね。織田有楽が逃げ延びているんだから、なりふり構わずに逃亡を図ったら不可能ではなかったと思うのですが。これが信長だったら、何が何でも生き残って捲土重来を図ってるでしょうね。それどころか、邪魔な親父が居なくなってこれからは俺のやりたいように出来ると考えた可能性さえある。信忠がここで生き残っていたら、その後の織田家の凋落はなく、信長が信忠に代わっただけで秀吉の出番はなかったろうと思います。だから私は本能寺の変には何らかの形で秀吉が関与しているという考えなのですが。

 

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