教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

12/28 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「なるほど!平安貴族~年の暮れとお正月」

平安時代に始まった様々な行事

 年の暮れと正月で世の中がバタバタしていますが、現在の年末年始の行事の中には、平安時代の貴族の行事に端を発しているものが少なくないという。と言うわけで平安時代の貴族がどんな年末年始を送っていたかを紹介するとのこと。

 まず年末の大掃除であるが、元々は神棚の煤払いから端を発しているいう。ちなみにこの大掃除の日程決定も一大事だったらしい。多分陰陽師とかが動員されたのだろう。宮中には掃部寮(かもんのりょう)という掃除担当の役職まであったという。ちなみに町中の清掃は検非違使が担当していたとか。ここまでして貴族が掃除にこだわったのは、貴族達には汚れは穢れにつながり穢れは病などの禍ごとの原因となるという発想から、特に汚れを嫌う考えがあったからだという。

 また鏡餅や門松のルーツも平安時代にあるという。鏡餅が銅鏡の形から来ているというのは言うまでもないが、門松は最初は根付きの若い松をそのまま飾っていた庶民の風習から来ているという。今では大掃除を終えた後に縁起が悪いという12月29日(苦立て)と12月31日(一夜飾り)を避けて飾るのが一般的(らしいんだが、私はこんな風習は全く知らなかった)なのだが、平安時代にはこれは大して意識せず、普通に一夜飾りをしていたらしい。

 

大晦日の重要行事

 また晦日には帰ってくる死者を迎えるために御魂祭というお盆のような行事も行っていたらしい。また疫病をもたらす鬼を祓うための追儺も重要な行事であった。中国から導入された儀式だという。方相氏と呼ばれる鬼を祓う神に扮した役人が4つの目の付いたお面を被って、目に見えない鬼を追い立てたのだという。しかしこの方相氏が恐ろしい姿をしていたことから、平安末期になると方相氏自体が鬼の立場になり、豆などで追い払われるようになり、これが現在の節分の原型となったとのこと。

 追儺の儀式が終わると宮中の女房達は衣装の準備など大忙しだったとか。衣装は貨幣と同じ価値があるので、衣装が華やかであるほどその家が繁栄していることを示すものだったとか。なお当時の衣装は貨幣と同じなので、泥棒が入り込んで女房の着物をはぎ取っていったという恐怖体験が紫式部日記に記されているとか。

 

元日の天皇や貴族は大忙し

 旧暦の時代は元日は春の始まりだったので重要行事が目白押しだった。宮中では天皇が四方拝といってあちこちに向かって拝礼する重要行事があったという。行事目白押しなので天皇などは休んでいる暇もなかったろうとのこと。まあ天皇は儀式の頂点の存在だから大変である。

 またおせち料理は天皇が朝賀を受けた後に天皇から饗応される席での食事がおせちの走りらしい。身分によって席順とかが細かく決まっているので、これは身分社会においては重要行事だったという。

 また天皇は父親の上皇などのところに挨拶に行く行事もあったという。天皇は輿に乗っていくのだが、これを担ぐのが12人、四隅の綱を取ってバランスを取る綱取りが10人なので大変だったという。いわゆる年始回りというもののようである。

 また書き初めは文官の行事であった吉書始めにあるという。その年に始めた汲んだ水である若水で墨をすり、恵方を向いてお目出度い言葉を書くのだとのこと。また年賀状もこの頃にルーツがあり、貴族が遠方の人に挨拶状を送っていたようで、文例集のようなものまであったとか。さらに七草粥は平安時代の供若菜(なかなをくうず)という行事に端を発している。

 また平安時代の子供には毬杖という杖で毬を打ち合うホッケーのような遊びが人気だったとか。生命力の強いゆずり葉を腰に付け、健康を祈願する行事でもあったという。

 また1月は人事の時期でもあり、1月15日は旧暦でその年初の満月の日であるので、この日も一つの年始めであり、多くの行事が行われたとのこと。ようやく行事が一段落するのは1月20日頃とか。まあ貴族も天皇もなかなか忙しいことで。

 

 以上、平安貴族の年末年始。なお追儺は年納めの行事としては非常に重要だったのだが、天皇は母の死で自粛になった時に安倍晴明が個人で実施して名声を上げたなんて話もあったな。

tv.ksagi.work

 とにかく当時の貴族や天皇は公式行事で多忙そのものです。まあ今日的観点から見ると、そんな行事に何の意味があるんだというようなものばかりですが、彼らにとってはそれが最重要行事だったんだから仕方ないところです。

 今年の年末などなら、まず鬼払いの追儺が大々的に行われたところでしょう。もしかしてこの期に及んでもコロナ対策がカルタとか標語の小池都知事は平安時代の雅な人なのかもしれないです。

 

忙しい方のための今回の要点

・現在の年末年始の行事の中には平安時代の貴族の行事に端を発している者が少なくない。
・大掃除は元々は神棚の煤払いから始まっており、貴族が汚れを穢れとして嫌っていたことと関係しているという。また門松のルーツも平安時代とのこと。
・年末の重要行事は病をもたらす鬼を祓う追儺であったが、実はこの行事は後に節分の原型となっている。
・天皇は年末年始は行事で忙しく、四方拝という拝礼を行ってから上皇の元に挨拶に行ったりなど、細かく行事が決まっていた。
・また書き初めや年賀状の原型も平安時代に存在している。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・とにかく天皇は諸行事で雁字搦めだったようです。明治以降にはかなり簡略化されたと聞きますが、今でもかなりの公式行事が残っています。もっとも天皇の権威というのはそういう伝統の中にあるものなので、時代が下っても「非合理的だから省略する」ってわけにもいかないようです(そういうことを言い出したら、そもそも天皇という存在が合理的かという話になってしまう)。

次回のにっぽん!歴史鑑定

tv.ksagi.work

前回のにっぽん!歴史鑑定

tv.ksagi.work