砂漠の交易都市ペトラとナバテア王国
今回はスペシャルで海外編。どうやら数年前に放送されたものらしいが、その時には私は見ていなかったようだ。扱うのは砂漠の交易都市ペトラ。文明の十字路で繁栄を極めたようであるが、なぜか歴史から消え去った謎の存在でもある。なおペトラの遺跡自身は世界遺産であり、実際にあの番組でも紹介されている。
ペトラが繁栄したのは紀元前1世紀頃。しかしペトラを都とするナバテア王国は、現在のヨルダンの位置にあり、西にエジプト、北に精強な騎馬軍団を擁するパルティア、さらには北からはローマ帝国が迫り来るという非常に微妙な位置に存在することになる。ナバテアは紀元前200年ぐらいから紀元100年ぐらいまで大体300年程度続いた王国だが、未だに謎も多いところである。今回はこのナバテア王国の生き残り戦術に注目する。
岩山に築いた要害の交易都市ペトラ
ナバテア王国の都・ペトラは岩山の中をシークと呼ばれる極めて狭い道を走ること1.2キロ、突然に現れる。ちなみにインディージョーンズ最後の聖戦のロケが行われた場所で有名だという。いきなり現れるのは岩盤を繰りぬいて作られた高さ40メートルの宝物殿で、ここでは祭祀が行われたと考えられている。ヘレニズム様式の傑作建造物である。
ここからさらに奥に進むと岩壁には多くの墓が作られている。そして4000人が収容できるローマ式の劇場、これらもすべて岩を掘り抜いて作ってある。町の中心はやや開けており、2~3万人が住んでいたと推測されている。大神殿は7000平方メートルの広さがあり、ここは砂漠にも関わらず巨大な水のプールや噴水まで存在したことが分かっている。
ここに住んでいたのはナバタイ人と言われる遊牧民族である。彼らの繁栄の元になっていたのが死海に浮かんでくる瀝青だという。これは天然のアスファルトで熱をかけると80度ほどで融けてコーティング材料になる。ミイラの腐敗防止や船の防水に使われている貴重な資源だった。多くの商人が集まるようになったペトラは、彼らをもてなすための施設も設けていたという。位の高い人物の邸宅の客間には床暖房の設備まで整えていた。
迫り来る巨大ローマ帝国との駆け引き
紀元前1世紀頃、ナバテア王国の前に拡大する古代ローマが現れる。古代オリエントに目をつけたローマは大将軍ポンペイウスの指揮の下で進出を図ってきた。当時のナバテア王のアレタス3世は周辺地域に徐々に勢力を拡大してエルサレムを包囲したが、そこにローマ軍が襲来、アレタス3世は戦わずに引き揚げたという。ローマのその勢いのままにさらに進出するが、ペトラには接近できなかったという。これはペトラが狭いシーク以外は断崖に囲まれた要地で攻めるに難い上に、アレタス3世が地形を活かしたゲリラ戦を仕掛けたのだという。ローマは平原での大軍同士での戦いには強いが、ゲリラ戦には脆いところがあった。後にアレタス3世はローマに銀300タラント(約9トン)を送って講和を締結した。
ペトラは砂漠の都市に関わらず水の豊富な土地だった。数百の貯水施設に限られた降水期の雨水を大量に蓄積していた上に、高度な技術によって遠くの水源から水を引いていたという。どうもローマに匹敵する技術のように思われる(むしろローマにナバタイから技術が伝わった可能性もある)。これによって1人あたり600リットル/日の水を確保していたという。つまりローマ軍に囲まれても耐えきることのできる要塞であった。
しかし紀元前44年のローマでカエサル暗殺から始まる動乱に再び巻き込まれる。ローマが動揺するとみるや、東のパルティアが動き始める。ローマ支配下のシリアや死海の近くまで迫ってくるパルティアに対して、ナバテア王のマリクス1世はパルティアにつく。しかしここにクレオパトラ率いるプトレマイオス朝エジプトが死海周辺に狙いをつけて進出してくる。クレオパトラと組んだローマのアントニウスがパルティアを押し返すと、死海周辺をクレオパトラに与えてしまう。ライフラインを脅かされたマリクス1世は毎年銀6トン相当を支払うことで土地の使用権を取り返す。しかしアントニウスとオクタヴィアヌスが対立してアクティウムの海戦が勃発、マリクスはアントニウス側に援軍を送るが、戦いはオクタヴィアヌス軍が勝利、マリクスは寝返ってクレオパトラ軍を焼き討ち、マリクスはその功績を手土産にオクタヴィアヌスと交渉して死海周辺を奪還する。見事な寝返りの早さである。
再度の危機への強かな対応
だが再び危機がやって来る。オクタヴィアヌスが南アラビアへの遠征を決定したからだ。ナバテアは南アラブから乳香や没薬などを交易していた。これらは地中海世界の商況行事には不可欠の高級な香料であり、ナバテアの重要な資金源だった。この交易路にローマが目をつけて支配を目指したのである。これに対してナバテア王国を実質的に率いていた宰相のシュライオスの選択であるが、ローマと抗戦するか、恭順するかである。
これに対してゲストの意見は分かれたが、要は一戦構えて力を示しておくか、とりあえず恭順しておいて隙を疑うかということで、大筋ではそんなに違わない内容。で、シュライオスがとった手段だが、1000人の兵を引き連れてローマの遠征に従軍したという。しかし道案内を買って出ておいてから、砂漠の中を1万のローマ軍を引きずり回したという。そして兵士は渇きに苦しんで、結果として撤退せざるを得なくなったのだという。実に巧妙なサボタージュである。ちなみにローマの将軍が帰りに別のルートを通ると、行きの1/3の日数しかかからなかったとのことなので、どれだけサボタージュしたかが分かるというものである。こうしてシュライオスは巧妙にナバテア王国の利益を死守した。ナバテアの交易路はスリランカからシルクロードにまで及んだという。そしてその後100年に渡って繁栄する
ただそのナバテア王国も歴史から消滅する。106年、ローマ帝国のトライヤヌスが進行してきて、ナバテア王国はついにローマに併合される。こうしてペトラもローマ化すると共に次第に寂れていく。その原因の1つは巨大地震によるダメージ、さらに交易路の変化だという。こうして幻の都となったペトラだが、実は巨大地震後に町の周囲に畑が広がっており、ペトラは交易都市から農耕都市へと変貌を遂げ、それを支えたのはかつてのペトラの水路だったという。
以上、砂漠の小国ナバテアの生き残り戦略。どうしてもこういう要地にある小国はあっちについたりこっちについたりのサバイバルが必要になるものである。にしてもなかなかに強かであった。なおオクタヴィアヌスの派遣した遠征軍を引きずり回して撤退させたってのは、ローマ軍にしては準備に欠ける遠征だったと感じる。ローマは本格的に遠征する時には道路から福利厚生施設まですべて整備してから遠征に臨むものだが、この時はやけに不用意に進行しているところを見ると、オクタヴィアヌスとしてもどこまで本気だったかが怪しい。恐らくシュライオスはその辺りを見極めて、オクタヴィアヌスの面目が立つギリギリの線を狙ったのだろう(ローマとしては南アラブまで侵攻したというだけで目的達成との話も出ていた)。そのあたりの強かさが今の日本の外交には最も欠けるところである。とりあえず国民から重税を巻き上げて、それを海外にばらまいておけば自分は安泰と考えている岸田では・・・。
忙しい方のための今回の要点
・紀元前1世紀頃、現在のヨルダンの位置にペトラを都とするナバテア王国が交易の中継地として繁栄していた。
・ペトラは山間の要地で、石を切り出した建物などが存在する高度な都市だった。また砂漠にも関わらず貯水施設や水源からの水路によってふんだんに水が存在した。
・ローマの侵攻に対し、時の国王アレタス3世は攻めるに難い地形を活かしてゲリラ戦で抵抗、最終的に講和に持ち込む。
・紀元前44年、カエサルの暗殺以降のローマの混乱にナバテアは巻き込まれる。最終的にはアントニウスとオクダヴィアヌスが対立したアクティウムの海戦で、ナバテアはアントニウス側に援軍を送り込んでいたが、途中で寝返ってクレオパトラ艦隊を攻撃、その功績でエジプトに奪われていた死海周辺を奪還する。
・しかしそのオクタヴィアヌスが、ナバテアの重要な財源である南アラブの香料の交易路に目をつけて進出してくる。時の宰相のシュライオスはローマ軍の道案内を買って出て、ローマ軍を砂漠の中を引きずり回して乾きで疲弊させて撤退に追い込む。
・強かな外交で100年以上繁栄を続けたナバテアだが、大地震や交易路の変化で衰退、106年についにはローマに併合される。
忙しくない方のためのどうでもよい点
・世界遺産見た時に、あの岩山の中の巨大都市は確かにインパクトがあった。磯田氏が「1度見てみたい」と言っていたが、良く分かるわ。天然の城塞都市みたいなものだからな。
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