教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

7/8 NHK-BS 英雄たちの選択「シリーズ・リアル忍者 江戸・幕末忍者 サバイバル大作戦!」

島原の乱では大活躍した忍者達だったが・・・。

 リアル忍者シリーズ、前回は江戸時代に幕府に取り込まれるまでの話だったが、今回は幕末の時代の変動の中でいかなるサバイバルを図ったかに注目している。

 戦国が終わって江戸時代になると、忍者は諜報員としての役割が大きくなる。忍者達は諸大名に抱えられて必須の存在となっていた。中でも彼らが大活躍したのが島原の乱だという。吉田十右衛門が天草四郎の屋敷を火矢で焼きはらったという記録が残っている。この放火をきっかけに攻め手が四郎の屋敷に攻め入って四郎を討ち取ったという。

 残っている忍術の書によると火薬を使った武器が多く記されている。島原の乱で使用されたのは大国火箭という矢の先に火薬を詰めたロケット弾だという。設計図には900メートル飛ばすことまで想定されているという。忍者は火薬の調合などを中国から学んでおり、さらにそれにネズミの糞を混ぜて燃焼時間を長くするなどの独自の工夫も行っていた。番組では設計図に基づいて再現したところ、火薬の推進力だけで110メートル飛んだ。さらには火を付ける目的には、焼夷用の別の火薬を導火線で着火させるようにしていたとのこと。これを数本まとめて飛ばすと、遠距離の屋敷を焼きはらうことも可能だろうという。

  どうやら今回、忍者技の再現に協力したのここのようだ

satellite-work.sporr.mie-u.ac.jp

  で、この番組に協力したという趣旨のことも記載してある

tv.ksagi.work

 

 

泰平の時代に活躍の場を失っていく忍者

 時代が泰平の時代になっていくと忍者はどのような役割を果たしたか。磯田氏が忍者の末裔である杣中木村家を訪問して、その家に伝わる古文書から尾張家に仕えた木村家の忍者の姿を明かしている。文書を記した木村奥之介は、尾張藩に鉄砲方として召し抱えられていたが、その役割は単なる鉄砲方としてでなく要人暗殺なども行っていた可能性があるという。尾張藩主の光友は奥之介に甲賀から忍びの人材を集めるように命じた。隣国での百姓の騒動が起こっていたので情報収集をさせるのが目的だったという。こうして奥之介は甲賀五人というそれぞれに特技を持った人材を集める。

潜入しての情報収集といういかにも忍者らしい活躍をした彼らだが・・・

 彼らは甲賀にいて交代で尾張に出仕した。彼らは大和郡山城に潜入して調査、報酬の銀二枚をもらったという記録が残っているという。しかし彼らの活躍はこの件だけであり、世の中が落ち着くにつれて次第に活躍の場はなくなった。そして藩主の光友が亡くなると尾張藩の忍びに関わる費用は大幅に削減され、彼らは鉄砲の弾薬にさえ事欠く状態になったという。晩年の奥之助は甲賀の忍びの技術は年々衰えていると嘆いている。

 

 

幕末に一旗揚げることを目論むが・・・

 黒船来航で再び日本が動乱の時代へと突入する。開国を進めた幕府と攘夷にこだわる天皇との対立が深まる。この時代の中で忍び達もどう動くべきかが議論になる。身分制度の中で士分を失って百姓となっていた彼らの悲願は、再び士分に復帰することだった。ここで活躍して士分に復帰したいと彼らは考えていた。この計画を中心になって動かしていた宮島作次郎は時流に敏感な男で、京に出て情報を集めていた。その彼の目の前で大政奉還、鳥羽伏見の戦いなどが発生する。それを見た彼は独断で新政府軍への従軍を願い出る。それを認められると甲賀に戻って仲間たちに新政府軍への参戦を訴える。その話を聞いていた一人、木村宋安(木村奥之助の八代目)は選択に悩む。

 新政府軍に参戦するか見送るか。ゲストの意見は全員一致で見送りである。状況が分からないので様子を見た方が良いというもの。また磯田氏が新政府に加わってもろくなことがないんじゃないかというのが良く分かる。なお私も見送りである。と言うのは新政府なんて所詮は幕府に代わって成り上がりたい薩長の下級武士の集まりなので、余所者が参加しても厚遇されるとは思えないということ。もっとも新政府の実態なんて後知恵だから分かるもので、当時の木村達が分かっていようはずもない。と言うわけで彼らは会津戦争に参戦する。

 会津戦争に参加した甲賀隊は庄内藩兵と戦闘し、重軽傷者を出しながらも庄内藩を降伏させ、彼らはこの功績で士分に復帰は確実と喜ぶ。しかしその後の新政府の方針は士族の解体であったことから、彼らの願いは叶えられずに終わる。

 彼ら以外にも様々な忍びがいた。岸和田藩に抱えられていた忍び達の一人藤林弥平次は、英国流の軍隊を創設したという。さらに明治になると困窮する藩士のために茶の栽培を提案して、甲賀に茶の実を買い付けにまで行っているという。忍者が近代軍隊になり、最後は経営コンサル的なことまでしているという。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・江戸時代になると忍者達は諜報活動の仕事が主となる。その忍者が活躍したのは島原の乱。天草四郎の屋敷を火箭で焼き払い、幕府軍を勝利に導いた。
・番組で忍者の大国火箭の復元実験を行ったが、火薬の推進力で遠距離を飛んで目標物を焼き払うかなり強力な兵器だった。彼らはこのような武器を独自に開発していた。
・尾張では木村奥之助が鉄砲方として雇われており、藩主の光友の命で甲賀から五人の忍者を集めている。彼らは大和郡山城に潜入して情報収集を行った記録がある。
・しかしそれ以降の彼らの活躍はなく、光友が亡くなると尾張藩の忍者予算も大幅に削減されてしまう。晩年の奥之助は忍者の技が失われていくことを嘆いている。
・幕末の動乱の時代になると、士分を失っていた甲賀の忍者達が、ここで活躍して士分への復帰を目論む。彼らは宮島作次郎の提案に乗って新政府軍に参加、会津戦争で庄内藩に勝利する武功を上げる。しかし士族の解体を目論む新政府の方針もあり、彼らが士分に復帰することはなかった。
・岸和田藩の忍びだった藤林弥平次は英国流の軍隊を創設し、明治には藩主に茶の栽培を勧めるなどの提言まで行っていたという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・忍者達のサバイバル作戦がいよいよと切実になってきます。しかし幕末にもなると、やっぱり戦国イメージの忍者は既に時代遅れ感が強いようです。
・結局は彼ら自身が時代の荒波に押し流されたようです。確かにあの時代に士分への復帰なんて目標にしてたら、途中で目標喪失するわな。

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