教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

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9/21 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「江戸時代の衣食住 江戸っ子は幸せだった?」

江戸時代の庶民の暮らしを衣食住から見てみる

 江戸時代の庶民はどのような生活をしていたのか。以前にも同様のテーマをこの番組で放送していた記憶があるが、今回は衣食住の観点から紹介している。

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質素な中で様々な工夫を凝らしていた

 まず衣だが、大名や裕福な商人などは高級な絹の着物を着ていたが、庶民は麻や木綿の着物だった。しかし徐々に町民が豊かになって贅沢なものを着るようになると幕府は何度も奢侈禁止令を出して、派手で豪華な着物を禁止するようになる。そのことから庶民の着物は茶色、ねずみ色、藍色などの渋い色になったが、そこは制約の中でも工夫を忘れないと言うことで、これらの色の中でも微妙な色違いなどを出していたという。柄に凝ったり、裏地に派手な絵を描いたりなんてのも出たという。

 化粧や髪型などは遊女や歌舞伎役者がファッションリーダーとなっていたという。江戸時代中期の遊女勝山がした勝山髷というのは、髷に髷型という型を使って輪っかになった男性の髷を思わせるような形にしたという。この髷を結って男装で颯爽と闊歩する勝山が若い女性に大評判となり(江戸時代のオスカル様である)、勝山髷は一世を風靡したという。またこれ以外にも鬢張を使って鬢を膨らませる涼しげな灯籠鬢という髪型は、歌麿の浮世絵などにもよく登場するという。

 また当時は色が白いことが美しさの条件であり、白粉などが使われていた。また当時は大きすぎる目は品がないと考えられていたので、まぶたに白粉を分厚く塗って目を細く見せるなどというテクもあったとか(今と全く逆である)。また既婚者はお歯黒を塗る習慣もあったが、これは外国人などには極めて不評だったという。このために明治以降は華族の子女はお歯黒が禁止となったが、庶民には結構普及していたとのことである。なお以前に「偉人たちの健康診断」で今川義元はお歯黒で歯が元気と言っていたことから、どうも歯を丈夫にする成分はあったようである。

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リサイクルとレンタルの超エコ社会

 また男性の髷なども様々なバリエーションがあり、若様風とか侠客風とか様々だったらしいが、中には病人風というものまであったらしいが、病人風な華奢な男が人気があったんだろうか? まあその手の需要はいつの時代にも一定程度はあるが、基本は「亭主元気で留守が良い」なのでは?

 で、着物はかなり手がかかっていて高価な物であるので、庶民はなかなか新しい着物には手が出ないということで、古着のリサイクルが一大産業となっていたという。買い取られた古着は洗濯して手直しされて流通するシステムが確立されており、それは現代の価値で10億円産業となっていたとのこと。また季節の変わり目には洗い張り屋で洗濯して仕立て直しすることで寿命を延ばしていた。破れて着られなくなっても子供用に仕立て直したり、最後はオムツや雑巾にするなど徹底して使用していた。江戸は超リサイクルのエコ社会だったのである。

 また大抵の生活用品はレンタルすることが出来、ふんどしのレンタルまであったという。基本的にあまり物を持たない生活をしていたという。

 

魚をよく食べていた江戸庶民

 さて食であるが、当時は朝に一日分のご飯を炊いて昼や夜は冷や飯を食うのが一般的だったという。朝食は味噌汁に豆腐などでご飯というのが定番で、シジミの味噌汁や納豆汁などが人気だったという。昼食には一菜と焼き魚などが付き、夕食は湯漬けなどに香の物がつくぐらいの質素なものだったとか。

 江戸時代になると庶民は様々な魚を食べるようになっていたが、人気は安さもあって鰯。鰯は干しても美味いことから人気があったという。当時人気がなかったのはマグロとサンマ。脂っぽいのが嫌われたのと、冷凍技術のない時代なので鮮度が落ちやすかったことも理由にあるという。マグロは猫またぎとまで言われ、サンマは下魚として食べられずに行灯の油にされることの方が多かったという(ただし魚の脂を行灯に使うと臭いしすすが大量に出て大変だったと聞くが)。サンマが庶民に食べられるようになったのは、相次ぐ火事で食糧危機が起こってからだとか。何もないよりはマシという感じで食べられるようになったらしいが、この時の工夫として当時天ぷらに添えられていたのを参考に大根おろしを使うようになったことだとか。脂っぽい魚をさっぱり食べる工夫である。なお庶民がサンマを食べるようになったのは、当時の江戸庶民の栄養バランスを考えると、極めて有意義なことであると私は考える。

 

外食産業にグルメもあった

 また江戸には多くの独身男性がいたことから屋台を中心とした外食文化も隆盛したという。寿司屋、そば屋、天ぷら屋に水屋というのもあり、これは冷やした砂糖水に白玉を入れたスイーツらしい。そう言えばもろにそういうものを私はこの前島原で食べたっけ。

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島原名物「寒ざらし」。名水を使用したこれは結構美味い。

 さらに江戸っ子がこだわったのは初物を食べることだとか。初物を食べると75日寿命が延びるという話があるらしいが、無理矢理見栄を張って高い初鰹(約20~30万円)を食べようとしたという。「女房を質に入れても初鰹」なんて狂歌もあるとか。このような鰹は押送船という当時最速の快速船で輸送されたらしい。この船は北斎の神奈川沖浪裏に描かれている細長い船だが、極限まで軽量化しているために強度が低く、舵取りなどの操船が難しいまさに命がけの輸送だったらしい。ただこのおかげで鎌倉の鰹が江戸まで12時間で輸送されていたとのこと。これらの初鰹は大体は刺身で食べられたとか。

 また当時はグルメ本の類いも発行されていたとのことだが、中には奉書紙を水でほぐして葛で固めて餅にした料理なんかもあったらしい。あまり美味しそうには思えないが、食が細くて便秘になりがちな高齢者などが食べていたという。確かに食物繊維どころかもろに繊維(セルロースそのものである)なので、便が出やすくはなりそうである。

 

狭い長屋でミニマム生活

 さて最後の住であるが、江戸は超過密都市なので、大抵の庶民は裏長屋の4畳半1間で家族で暮らしていた。だから荷物はあまり持たないようになっていた。井戸や厠は共用であり、糞尿や生ゴミは農家が肥料として回収していたので、ゴミとして出るのは陶器の破片ぐらいだったとか。

 また風呂はないので銭湯でぬか袋を石けん代わりに使用していたという。なお船に風呂桶を積んで隅田川を回る湯船というものもあり、これが現在浴槽を湯船と呼ぶ語源だとも。

 

 以上、江戸の庶民の生活。豊かではないが結構理に適ってエコな生活をしていたわけで、文化度は意外に高い。糞尿を道路に垂れ流しにしていた当時のパリなどよりは余程清潔な都市でもあったようである。

 遊女が当時のファッションリーダーという話もあったが、これも遊女=売春婦という認識だったら今ひとつピンとこないところだが、当時の遊女は今で言うところの芸能人という性質もかなり高かったようである。今の芸能人でもお偉いさんに枕営業する輩もいるんだから、そう考えると今も昔もあまり差はないか。

 当時はマグロは人気がなかったという話があったが、冷蔵庫もなかった時代なんだから納得でもある。今でもスーパーなどで少し古くなったマグロはすぐに真っ黒になって著しく風味が悪くなるから、現在の流通保存技術なくしては高級魚としては通用しない魚である。その点、鯛などはむしろ数日寝かせた方が旨味が増すこともあるんだから、そういう点では優秀な魚である。

 

忙しい方のための今回の要点

・江戸時代の庶民の着物は麻や木綿が一般的で、贅沢な着物は幕府の奢侈禁止令が出ていたので、色は地味なものに限定されたが、その中で細かい色味の違いなどを楽しんでいたという。
・当時は色が白いのが美人とされたので白粉が使われた。また既婚者はお歯黒を塗る習慣があった。
・髷などには遊女がファッションリーダーとなって流行の形などがあったという。
・食については質素なものであったが、魚はいろいろと食べられていたという。ただしマグロとサンマは脂っぽいのと保存技術がなかったこともあり、敬遠されていた。
・当時の江戸は独身男性が多いので様々な屋台が外食産業として隆盛していた。また江戸っ子は初物にこだわり、初鰹のために大枚はたくなんてのもあったという。
・過密都市だった江戸では庶民は4畳半の裏長屋で家族で暮らしていたため、家財道具はあまり持たない生活となっていた。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・今の大量消費使い捨ての時代と対極な生活ですから、今になって「江戸に習う生活の知恵」なんて話も出てきてます。ただし江戸のエコライフの裏には「すべてを人力でやるので、とにかく超高コスト」ということもあり、現在の資本主義とは対極の世界なので、そのまま現代社会に取り入れるのには限界や無理があります。やっぱり現在は資本主義が黄昏れてきているってことだとは思いますが。

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