教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

5/3 BS-TBS にっぽん!歴史鑑定「なるほど江戸時代!世界が驚いた暮らしの知恵」

江戸に関する総集編

 今回は江戸時代の暮らしに纏わる総集編。先週もまんまの再放送だったし、その前にも再放送があったりで、ネタに詰まっているのか手を抜いているのか。どうもこの番組の先行きも暗雲が垂れ込めている。

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超リサイクル社会だった江戸

 江戸の暮らしの特徴と言えば、とにかく超リサイクル都市だったと言うこと。ありとあらゆる物が何度も修理して使用された。焼き継ぎ屋という割れた陶器を直す業者に下駄の歯入れ屋に提灯の張り替え屋、さらにもっとも重宝がられたのが鍋などを直す鋳掛屋。軒下から七尺五寸以内での火を使った作業が防火上禁止されていたことから、七尺五寸の天秤棒を使って距離を測っていたという。これ以外にもありとあらゆる直し屋がいたので大抵のものは修理が利いた。着物などは古着屋で購入し、それが破れれば子供用に仕立て直し、さらにはオムツや草履の鼻緒になり、最後は薪の代わりになって灰になるが、この灰まで回収する業者がいた。改修した灰は畑の肥料に使用されていたという。

 またとっかえべえという鉄の廃品業者もいたという。壊れた鉄器を飴や玩具と好感していたという。さらに貴重な紙は回収されて再生されていた。天然素材だけで作られているので、再生紙の製造は容易であったという。さらにおちゃないと言われる業者は家に落ちた髪の毛を回収してかつらなどに使用したという。また見倒屋と言われるガラクタを買い取る古物商もいて、引っ越しなどの時に家財を丸ごと売り払うなんてことがあったという。とにかくリユースリサイクルの徹底した循環型社会であった。

 

 

江戸の失業対策と教育事情

 江戸の失業者対策に取り組んだのが鬼平こと長谷川平蔵。彼は人足寄せ場を設置したが、それは天明の大飢饉で江戸に流れ込んできた無宿人の失業対策だったという。人足寄せ場では無宿人を収容して技術の指導を行った。職業訓練所であり、ここを出た後にそれで食べていけるようにしたのである。このおかげで毎年200人ぐらいが社会復帰を遂げたという。

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 また日本は教育水準が高いことでも知られていた。ペリーは日本人の識字率の高さに驚いたという。当時の日本人の識字率は8割であり、それを支えていたのは寺子屋の存在だった。寺子屋では職業を意識した実践的な教育が個別指導で行われていたので、いわゆる落ちこぼれはなかったという。読み書きソロバンが基本で、教科書には各職業ごとの文例集である往来物が用いられたという。この手の教科書が7000種以上あったという。

 さらに当時の日本人は識字率の高さだけでなく、算術能力の高さも秀でていた。単に実用数学だけでなく、クイズ的に楽しんで学べるようになっていたという。いわゆる和算が流行することになる。寺子屋の師匠と寺子は信頼関係で結ばれており、寺子屋の師匠は尊敬を集めていたという。寺子達はここで学問だけでなく、団体生活のルールも学ぶことになったという。

 

 

農村事情と福祉政策に取り組んだ名君

 農村では五人組という制度で年貢などを連帯責任を負うことになっていた。年貢を払えなくなった農民は潰れと呼ばれる自己破産状態となり、それは組が責任を持つことになり、組が払いきれない時は村が責任を負うことになっていたという。また江戸の周辺には近郊農家が多数あり、江戸の食を賄うと共に、江戸の民衆の人糞は肥料として使用されるなどのサイクルが起こっており、おかげで江戸の町は当時のヨーロッパなどと比較にならないほど清潔であったという。農村と都市が密接に関わっていたのである。

 家光の腹違いの弟である保科正之は名君として社会福祉政策も行った。会津藩の領主となった保科は社倉制という米を備蓄しておいて、貧窮した農民に2割の利息で米を貸し出す制度を導入した。翌年の年貢で返済するのだが、たとえその時に返済できなくても利息は増えず、その時の年貢の徴収自体を2~3年待つという寛大な措置がとられたという。さらに藩は社倉制の利益は米の備蓄に回したので、これ以降会津藩は1人の餓死者も出さなかったという。

 さらに保科は間引きを禁止すると共に、行き倒れの旅人と医者に連れて行くように政令を出し、旅人がお金を持っていない時には藩が面倒を見たという。さらに90歳以上の高齢者に1日5号の米を支給するようにしたという。さらに保科は幕閣として明暦の大火の時には粥の配給を行うなど庶民のための政策を実行している。今の日本政府よりもはるかにまともな政治である。

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 以上、江戸時代についての総集編。江戸時代は今に比べると豊かとは言えない時代のはずだが、環境調和型の生活であったのは間違いない。さすがに現代の使い捨て生活はいささか見直すべき時に来ているだろう。

 それにしても江戸時代に既に社会福祉思想を持っていた保科正之はすごい。恐らく領民の生活が安定することで、ひいては藩の財政にも好影響を及ぼすという計算もしていたのだろう。目の前の利益のことしか考えず、ましてや私腹を肥やすことしか考えない今時の政治家と代わってもらいたいぐらいである。

 なお日本の識字率の高さは、江戸時代以降の明治期にも大きく効いている。というのは、国の政策その他を文書で発表するだけで民衆に伝わるから。大抵の国はこれが出来ないためにかなり苦労したという。明治以降日本が急速に近代化できた背景にはこの地力の高さがあったわけである。もっとも今となっては、この近代化の影の部分も拡大しているわけでもあるが。

 

 

忙しい方のための今回の要点

・江戸の町は超リサイクル社会で、ありとあらゆるものが修理して使用されていた。
・天明の大飢饉で江戸に無宿人が増加した時、長谷川平蔵が彼らの職業訓練所として人足寄せ場を設置した。
・当時の日本は識字率が8割以上で、これは世界的に見ても非常に高いものであった。これを支えたのが寺子屋で、個別指導の職業に応じた実践的な教育がなされていた。
・当時の農村は五人組で年貢について責任を持っていた。なお江戸の周辺には近郊農家が多く、江戸に食料を供給すると共に、江戸で発生した人糞を肥料として使用していた。そのために江戸は世界的にも非常に清潔な都市であった。
・会津藩の領主となった保科正之は貧困な領民のために備蓄米を低利で貸し出すなどの救済策を実行、さらに間引きの禁止や高齢者への米支給などの福祉政策を実行している。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・江戸時代が最近になって見直されてますが、実際に明治新政府以降は徳川幕府下でのことは何でもかんでもひどいものだったとネガティブキャンペーンが過剰になされた部分があるので、それが修正されてきたというところがあります。実際には薩長政権は腐敗がひどく、その流れが今でも続いているなど、明治新政府も褒められたものではなかったことが分かっています。

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