教養ドキュメントファンクラブ

自称「教養番組評論家」、公称「謎のサラリーマン」の鷺がツッコミを混じえつつ教養番組の内容について解説。かつてのニフティでの伝説(?)のHPが10年の雌伏を経て新装開店。

このブログでの取り扱い番組のリストは以下です。

番組リスト

"鬼の副長から、母のように慕われる男に変貌した土方歳三"(7/8 BSプレミアム 英雄たちの選択「鬼か?仏か?その後の新撰組・土方歳三~宇都宮城攻防戦の真実」から)

戦術家としての土方に注目する

 新撰組の鬼の副長と言われた土方歳三。幕末イケメンとして大人気で、剣を振り回しているイメージのある彼だが、しかしある時から剣を捨て、洋装に着替えて銃で戦うようになった。そしてその頃からかつて鬼の副長の姿は影を潜め、新たな一面を示すようになったという。また彼は実は指揮官として攻城戦の名手でもあったという。そのような土方歳三のもう一つの面に注目する。

 今回は人気の土方歳三を取り上げるのだが、今回も磯田氏はリモート出演の模様。他の二人のゲストはスタジオに来ているようだが・・・。磯田氏ってどこに住んでるんだっけ? 岡山出身と言うことは聞いているが、関西在住? ちょっと調べたところ、京都の国際日本文化研究センター所属らしいから、京都在住だな、多分。ということは、NHK京都放送局から中継か。まあ今は余程のことがない限り、関西から東京なんて行きたくないよな。ところでややカメラが近いのか、磯田氏がやけに大柄に写っている。

 

新撰組ナンバー2として実務面を取り仕切る

 さて土方歳三であるが、京都の治安維持のために身分に関係なく剣の腕の立つ者を集めた集団である。土方はこの中で局長の近藤勇に次ぐナンバー2として組織を仕切っていた。新撰組の組織は土方が作り上げたが、土方は副長の下に直結として副長助勤というのを置いている。組織の実務は実質的に土方が仕切り、近藤は大方針を立てたり、象徴的な存在という面があるという。ナンバー2に出来る実務家がいるという典型的な日本型組織でもあるわけである(私がイメージしやすい例で言えば「鬼灯様ポジション」である)。

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幕末イケメンでもある土方歳三

 新撰組は土方の意志で即断即決で動けるようになっていた。将軍家御典医の松本良順が新撰組の屯所を訪ねてそのあまりの不衛生さに改善策をアドバイスしたときは、数時間で土方が病室から浴室まですべて整備させたという。驚いた松本に土方は「兵は拙速を貴ぶとはことことなるべし」と言ったという。また新撰組は圧倒的多数で敵を迎え撃つなど、武士として卑怯と見えるようなことも合理的に行っている。任務遂行を最重要視していたのだという。

 

鳥羽伏見の戦いでの敗北で剣から銃に武器を持ち替える

 だが江戸幕府が消滅、幕府軍と新政府軍が衝突した鳥羽伏見の戦いでは、土方は隊士を率いて抜刀して突撃させたが、新政府軍の最新兵器の前に新撰組はなすすべもなく敗北する。この後、土方は剣の時代は終わったことを感じ、洋装に転じて武器を銃に持ち帰る。

 その2ヶ月後、江戸に戻った新撰組は甲州勝沼で新政府軍と戦うがここでも敗北する。連戦連敗した新撰組は、隊士達もそれぞれの道を歩むことになる。この後に近藤勇は捕らえられて斬首された。一方の土方は6人の隊士を連れて旧幕府軍と合流した。江戸城開城に反対する勢力であり、フランス式教練を受けた幕府軍の精鋭・伝習隊もそこにいた。

 なお西洋式軍隊の難しさは、西洋の学問をした者でないと指揮できないということだという。しかし西洋の学問をした者は下級武士ばかりなので、動員された上級武士と指揮系統の逆転が起きてしまうのだという。そのために組織としてうまく機能しにくいという問題があるのだとのこと。そのことは新撰組という身分にとらわれない組織で指揮を執っていた土方は、そのことを鳥羽伏見の戦いで痛感していたという。

 

旧幕府軍を率いて宇都宮城を攻略

 旧幕府軍に合流した土方は参謀として迎えられる。土方の実戦指揮能力が評価されていたのである。旧幕府軍は聖地である日光で旧幕府軍を糾合することを考えていたが、そのためには宇都宮城を通過する必要があった。しかし宇都宮城は北方からの攻撃を防ぐための幕府の拠点の堅城だった。

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復元された宇都宮城、実はこの土塁はコンクリートの張りぼて

 土方率いる1000人の隊が宇都宮城に迫る。しかし宇都宮城は既に新政府軍の手に落ちていた。守る香川敬三の兵力はわずか400だが、堅城だけに籠城に徹すれば攻略に手こずる可能性があった。だが土方達に対して、新政府軍は城から討って出て迎え撃ってきた。この不可解な行動の背景には、新政府軍が各藩の寄せ集めで指揮系統が混乱していたことがあるという。土方はその混乱を見逃さなかった。防御を突破された城兵は城の中に逃げ込んで立て籠もる。これに対して土方は精鋭部隊である伝習隊に北の大手門から近代兵器による攻撃を仕掛けて城兵の注意を引き、自らは宇都宮城の防御の弱点である東南の方向から城内に突入して白兵戦を仕掛けたのである。土方はこの時、激しい戦場から逃げようとする味方の兵を容赦なく切り捨てたという。まさに鬼の土方である。結局敵は逃亡して6時間ほどで関東屈指の堅城は落城した。この戦いは土方の戦術家としての名を上げることにもなったという。

 

奥羽越列藩同盟と合流するが・・・

 土方は北に向かう。東北では奥羽越列藩同盟が結成され、米沢藩と仙台藩が盟主となっていた。ここに旧幕府海軍を率いる榎本武揚が合流した。榎本が率いる艦隊は当時の日本最強の海軍だった。榎本と土方は仙台城で開催された同盟の軍議に参加し、榎本は奥羽の軍勢が戦うには全軍を率いる総督を選ぶべきであるとして、それに土方を推薦する。これを受けた土方は「全軍を率いるには軍令を厳しくする必要があり、もしこれを破るものがあれば、たとえ大藩の家老といえども切り捨てねばならないが、その生殺与奪の権利を与えられるのなら引き受けるがどうでしょうか」と答える。これに軍議は紛糾する(そりゃ当然だろうな)。

 この時の土方の選択としては、1.奥羽にとどまって戦う。この頃会津は籠城戦で劣勢であり、長岡藩は出来るブサメン・河井継之助の奮闘も空しく既に敗北していた。

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 しかし庄内藩は出来るイケメン酒井玄蕃の活躍で連戦連勝を収めていた。

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 ここから東北諸藩の力を結集すれば十分に粘ることもかのうであると考えられた。だが問題は奥羽の足並みが揃うかである。

 そしてもう一つの選択が、2.新天地に向かう。旧幕府海軍と共に蝦夷地に向かって体制を建て直して新政府軍に対抗する手である。日本最強の旧幕府海軍をもってすれば新政府軍に対抗することは十分可能と考えられた。

 この選択のどちらを選ぶかであるが、ゲスト2人は奥羽にとどまるべしというもの。特に1人はここで徹底的にゲリラ戦をすれば新政府軍を消耗させることが可能であり、土方はゲリラ戦に適した100人程度の部隊を率いる能力が特に長けているという考え。これには私も同感。ただしこれに対して、磯田氏は奥羽が団結できるはずなどないから、最強海軍を率いて海を隔てた蝦夷地で体制を建て直すのが得策との考え。

 

蝦夷地に渡って松前城攻略に成功するが

 そして土方の選択は2だった。彼は榎本共に蝦夷地に渡る。そこで旧幕府軍の侵攻を杭と面と立ちはだかった松前藩と戦うことになる。そして奥羽越列藩同盟は次々と新政府軍に降伏して瓦解する。なおこの時に旧幕府軍として戦っていた最後の大名こと、幕末イケメンの一人・林忠崇も降伏しているわけである。

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 新政府に既に屈服していた松前藩は土方達を迎え撃つ。これに対して土方は松前城に攻撃を仕掛ける。土方は城の裏手に回り込み、ハシゴをかけて城内に侵入し、一斉射撃で城内を混乱させて落城させた・・・とのことなのだが、私が松前城に行ったときは、城の正面から攻めた時に猛烈な銃撃にされられて進むことの出来なくなった土方は、城の銃撃にパターンがあることを見抜き、その間を縫って正面突破したと聞いていたんだが・・・。

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松前城の城門と天守

 とにかく松前城を落とすことを成功した土方(これで堅城を二つ落城させたことになる)だが、ここで想定外の致命的ダメージを受ける。土方達の援軍としてきていた海軍の開陽が嵐の中で岩礁に乗り上げて沈没してしまう。これで頼みの海軍の優位性も崩壊してしまう。なお番組では触れていないが、この後、土方は劣勢に陥った海軍の建て直しを狙って新政府軍の戦艦甲鉄の奪取を試みる(宮古沖海戦)のだが、これに失敗している。

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 函館の五稜郭は海に近いので制海権を失うと海からの艦砲射撃にさらされる。そこでこれ以降の土方は野戦で新政府軍を迎え撃つことになるが、この頃の土方は常に下々に気を使い、戦の時には先陣を切って進むので兵達は奮い立ったという。しかし土方は五稜郭の戦いで銃撃を受けて亡くなる。これを聞いた兵達は赤子の慈母を失うがごとく悲嘆して止まなかったという。

 

 以上、土方歳三の生涯。剣一筋にかけてきていた男が、鳥羽伏見の戦いで剣では戦いようがないことを悟り、変わらざるを得なくなったんだろうと思われる。もっとも磯田氏も言っていたように、土方の武断的な本質は特に変化していないと感じられる。ただし以前よりもさらに合理的に戦うようになり、なお立場的に組織を運営するということをさらに考える必要に迫られたのだろう。

 それにしてもつくづく幕府軍の敗北原因は開陽を失ってしまったこと。磯田氏は「あれは抑止力として置いておくべきもので、使ってはいけなかった」と言っていたが、全く同感。立派な戦艦はあったものの、船員の方の熟練度がまだ不十分だったので、北海の荒海の中に出港したら座礁事故を起こしてしまったのである。なおこの時には開陽だけでなく、その開陽を救出しようとしたもう一隻も沈没していたはず。幕府海軍は一戦もしないうちに壊滅してしまったのである。

 それに磯田氏も言っていたように、榎本はエリートで優秀な人物であったが、決して海軍の指揮官として優れていたとは言いがたいところがあるので、それが幕府海軍が今ひとつ活躍できなかったことにもつながっている。確かに榎本が開陽を函館沖にとどめて、そこで新政府軍を迎え撃ったらまた歴史も変わっていただろう。蝦夷共和国が新政府軍を退けて粘ることが出来たら、海外に独立国として承認させるということも可能となったろうから(旧幕府とのつながりでフランス辺りの後援を得ることも可能と思われる)、そうなったら歴史も変わっていただろう(北海道が独立国になっていたかも)。

 
忙しい方のための今回の要点

・新撰組において土方歳三は、ナンバー2として、実務面を実質的に一手に取り仕切っていた。
・だが新撰組は鳥羽伏見の戦いで新政府軍に敗北、土方は剣での戦いでは新政府に対抗することが不可能と考え、洋装をして銃で戦うようになる。
・江戸に戻った新撰組は甲府で再び敗北、この時に隊はバラバラになる。土方は隊士6人を引き連れて旧幕府軍と合流する。
・日光に向かった旧幕府軍は、宇都宮城を押さえた新政府軍と対峙する。ここで土方は北から攻撃をかけて守備兵の注意がそちらに向かった隙を突いて、防御の手薄な東南側から城内に潜入、白兵戦を仕掛けて関東の守備の堅城であった宇都宮城を6時間で落城させる。

・その後、奥羽越列藩同盟の軍議にも参加するが、結局は榎本共に蝦夷地に渡って、そこで体勢を立て直すことにする。その時に松前藩とも戦い、松前城を落城させている。
・だがこの時に援軍に向かった戦艦開陽が座礁して沈没、幕府海軍にとって致命的な打撃となってしまう。
・五稜郭に籠城では勝利の見込みのなくなった土方は野戦で戦うことになる。この頃の土方はかつての鬼の副長とは異なり、部下に気を使う人物になっていた。土方はこの戦いで命を落とすが、土方の訃報を聞いた兵達は赤子が慈母を失うごとくに悲嘆したという。


忙しくない方のためのどうでもよい点

・磯田氏はしきりに土方の城攻めの能力を示す事例として持ち上げ、秀吉にも匹敵する城攻めの上手さとベタ褒めでしたが、正直なところそれは持ち上げすぎなような気がする。別に土方の用いた戦法にはことさらに独創性はないし、宇都宮城の時は城は固かったが兵力的には優位だったし(その上に敵は弱兵)、松前城攻略の時も、松前藩は決して鉄壁と言えるような相手でもなかったから。
・もっとも土方がただ単に剣を振り回すだけの脳筋ではなく、キチンと戦術を立てられる人物であるという証明であることは間違いないですが。

次回の英雄たちの選択

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